こんにちは!外部ブロガーのケンタです。 秋も深まってきて朝と夕方はめっきり涼しくなりましたね。
ところで、姫路の皆さまは「にしこう」ってご存知ですか? ええ、ご存知ですよね。これは高校の名前なのですが、姫路では伝統ある「姫路西高校」のことを指します。
今日は中学生の皆さまとそのご両親にこんなことを提案したいと思います。
「いっそ、姫路西高校に入ってみればええやん?」
え?どうやって?
そも「姫路西高」ってどんな高校?
まず、客観的な情報を得るためにWikipediaで調べてみましょう。
兵庫県立姫路西高等学校(ひょうごけんりつ ひめじにしこうとうがっこう)は、兵庫県姫路市北八代二丁目にある県立高等学校。第4学区に属する[1]。略称「西高」(にしこう)、「姫西」(ひめにし)。2006年に大規模改修工事が行われた(2008年完成)。
なんだか素っ気ない説明なのでちょっとだけ補足しましょう。
「姫路西高校」は、旧制姫路中学として1878年に開校し、1948年の学制改革により現在の「姫路西高校」となりました。
OBとして有名なのは、落語家の桂米朝師匠やデザイナーの高田賢三さん、古きは哲学者の和辻哲郎さん、また知る人ぞ知る「伊賀泰代さん」などを輩出しています。
伝統あるだけでなく、その入学難易度もかなり高いです。 偏差値でいうと68〜70あたりは必要になるでしょう。
また、進学実績も優れています。 東大や京大、大阪大、神戸大学への進学は県内屈指。 姫路市ではダントツの進学校なのです。
さあ、中学生のみなさん、こんな「西高」に入りたくなりましたか? そこで、ぼくのような凡人が西高に入るにはどうすればいいか個人的なアドバイスを3つほど述べていきますね。
(1)インセンティブを利用しよう!
まず「きっかけ」が大事です。
のっけから厳しいことを言うと、親から「勉強しなさい」と言われるようではダメなんです。自慢ではありませんがぼくは親から「勉強しろ」と言われたことは一切ありません。また、親も「勉強しなさい」と言ってはいけないのです。それは子供にインセンティブ(動機)を与えません。
さかのぼると、ぼくはうまれつきIQがとても低い人間でした。 小学3年生のときに唯一、九九が暗記できない人間でした。 どうしても6の段から上は覚えられなかったのです。
そんな低知能のぼくを変えたのはおかん(母親)の一言でした。
「ケンタ、もし西高に入ったらパソコンを買ってあげるよ」
単細胞であるぼくは、その言葉を機に「受験マシーン」へと化しました。 結果として、おかんは、ぼくに勉強させる動機を与えることに成功したのです。
インセンティブはとても大事です。 親は子供の性格を考えて、適切なインセンティブを与えるととても多大な成果を生みます。 ぼくの場合、パソコンという物欲がきっかけでした。
あなたのきっかけは何でしょうか?
(2)大前提は「自分は凡人である」
ぼくは小学4年生から勉強に目覚めました。 その勉強方法は後述するとして、ある程度勉強していると余裕で成績は向上します。
余裕です。だって、他の子供は遊んでるのですから。
すると、不思議なことに試験で90点以上の成績を量産していきます。
しかし、ここからが分水嶺。
周囲はあなたのことを「天才」とか「秀才」と称するようになりますが、絶対に真に受けてはいけません。
これを真に受けると、「自分は天才なんだ」と勘違いします。すると今の勉強スタイルに慢心することになります。これは一見いいように見えて、長期的にみると大ダメージをくらいます。大人になれば分かります。慢心は最大の敵なのです。
あなたは凡人であることを忘れないでください。 全てはその認識から始まります。
(3)勉強をエンタメに変える!
ぼくの勉強方法は少し変わったものでした。
どんな方法かと言うと、「自分で自分に教える」というスタイルです。 自室にこもってぼくはブツブツと自分に説き伏せていました。だから勉強するときは個室が必要だったのです。
一般的にはみんな塾に通いますよ。 そして、先生の言うことに納得したり板書を書き写したりしますよね。
それ、ムダじゃないですか?
板書する手間と時間があれば、自分で納得したことを好きなように表現したほうが伸びますよね。あと、先生がなにかを教えることによって、その成果は先生のものになってしまいます。教わった生徒たちはその成果を見ることしかできないんですよ。
結局、教えることが最大の勉強になるんですよね。
「教わって覚える」なんていうのは江戸時代の寺子屋で終わりにしましょう。
自分で自分に教える。
これさえ出来れば勉強は最高のエンターテイメント(娯楽)になりうるのです。
さあ、西高を目指そう!
勉強が娯楽になってきたら、もうゴールは見えたも同然です。 人生が楽しくなりますよ。
ちなみに、西高に入ったぼくは母親からパソコンを買ってもらえませんでした。 ああ、こういうウソをつくんだ!
「女性の怖さ」を初めて知った瞬間がまさか母親からだとは。
ぼくのブログはこちらで更新中→「ケンタの日本全国スタバ旅」