こんにちは!新米おかんチエです! みなさん、姫路市って全国的にも難読地名の宝庫で有名なことをご存知ですか? 代表的なもので言えば、「夢前」! 地元人は知らない人はいないほど簡単に読めちゃう“ゆめさき”ですが、他府県の友人10人にリサーチした結果 10人中1人しか読めないという撃沈ぶり(笑) あれええええ!?これって私たちだけが普通なことだと思ってたのね!?と衝撃を受けました! そこで今回は歴史研究家 芳賀一也先生(城下町ギルド)にご協力いただきまして、 「地元人も読めへん姫路の地名ランキングTOP10」を作ってみました!
人物紹介: 芳賀一也先生
カメラマン。歴史家。多方面の業界携わり、経験知識が豊富。
姫路城下町街づくり協議会 副代表。
お城ガイド養成講座など姫路市の観光事業に尽力されている。
自身が経営する歴史Cafe城下町ギルドでは播磨鑑をはじめ、姫路やお城の歴史にまつわる様々な書物が所蔵閲覧できるようになっている。
城下町ギルドのFaceBookページはこちら |
参考資料は城下町ギルドに所蔵されているこちらの一冊 姫路の町名 播磨地名研究会・編著(神戸新聞総合出版センター) では、さっそくまいりましょう!
地元人も読めへん姫路の地名ランキング
第1位 神種(このくさ)
平成18年3月に、姫路市と合併した旧飾磨郡夢前町、現在は姫路市夢前町になりました。夢前町の中でも特に難読なのがこの「このくさ」という地名。姫路人には認知度がかなり低いかもしれません。こちらの地区では夢前スポーツセンターが運営されており武道館やテニスコート多目的ホールなどがあります。
第2位 丁(よろ)
丁の名の起こりは、朝廷に課役に借り出されることを「よふと」と言い、これが後、変化して「丁」と呼ぶようになったと言われている。そのことを伝えているのが『播磨国風土記』で、揖保の郡の条に、勝部、太田など渡来系の技術者がこの地に住み、農地を広げていった様子がわかる(姫路の町名より抜粋)
ちなみに、丁には姫路市で2番目に大きな瓢塚(ひさごづか)古墳があります。渡来人の活躍を朝廷が認め、その功績をたたえられ古墳として残っているのでしょうか。とても分かりやすい前方後円墳なのでお子さんの学習にもぴったり!?
第3位 河間(こばさま)
姫路市河間町 だいたいこのへん
お城の北東に位置する河間町はその名の通り、もともと河(大きく曲がって流れる川)と川の間に挟まれた土地にできた町です。
物と物との間になった狭い所を狭間というから、「かわはざまちょう」がつづまって「こばさま」になったのだろうけども、何という川と川の間にあった土地なのか”(姫路の町名より抜粋)
河間町は大川(今の船場川)と藍染川の間にある町で二股に川が流れていました。その昔、男性が妻と離別するとき、この川の水を硯に移して、筆を染め、袂につける風習があったと言われています。(※諸説あり) |
第4位 勅旨(ちょうし)
姫路市花田町勅旨
だいたいこのへん
「勅旨」というのは、天皇の命令を伝える文書のことで地名の由来にはいろいろ諸説があるようです。 『花田村村誌』や『播磨郡誌』にも様々な話が載っています。
第5位 伊伝居(いでい)
姫路市伊伝居 だいたいこのへん
田に水が湧く地があることにより村名を井出村としたものと思われる。明治に入り姫路県飾東郡伊伝居村となる。(姫路の町名より抜粋)
現在の増位山にある随願寺(ずいがんじ)はこの町にあったと言われています。かつては姫路師範学校があった文教の町です。 |
第6位 南畝(のうねん)
姫路市南畝町 だいたいこのへん
古くは農年、長畝とも記され、「のうね」とも呼ばれた。姫路駅の南側、船場川の東にある。(姫路の町名より抜粋)
能年さんというお名前がありますが、出はこの辺りではないかと言われています。おそらくここから神崎へと流れていったのではないでしょうか。 |
第7位 仁豊野(にぶの)
姫路市仁豊野
だいたいこのへん
市川中流の右岸である。「文政古図」には「ニウノ」とあり、おそらく朱色の砂土を産する丹生野が語源と思われる。ミブには湿地、ミ(水)フ(辺の転)の意味もあり、市川右岸の沖積層である。(姫路の町名より抜粋)
丹生とは水銀のことで赤土に含まれていたのではないのかと言われています。毒性が強い分、腐らない性質があり、大変重宝されていました。 |
第8位 苫編(とまみ)
姫路市苫編 だいたいこのへん
「秋の田のかりほの庵の苫をあみわが衣手は露にぬれつつ」百人一首の天智天皇の御歌である。古代、その苫を編むのを業とした人々が住んでいたので、この名がついたといわれている。「神功皇后の一行に苫家を提供した」とか、「結城合戦(一四四〇年)に際し、兵船用の苫を編んだので苫編となった」という話もある。(姫路の町名より抜粋)
苫とは菅や茅を粗く編んだむしろ(敷物)のことです。船や家を覆って雨露をしのぐために用いられます。 |
第9位 阿成(あなせ)
『播磨国風土記』に「安師というのは、大和の穴師の神戸になってお仕えしたので、穴師と号した」とある。(姫路の町名より抜粋)
一説には穴師というお仕事は「鉄穴流し」と呼ばれ、製鉄を生業とする人たちの事です。市川の河口付近でとれた砂鉄を製錬していたのではないかと言われています。市川の周辺に鉄関係の会社が多いのはその為かもしれませんね。 |
地名とかかわりが深い神社 飾磨区早川神社
第10位 東雲(しののめ)
姫路市東雲町 だいたいこのへん
町名は、新しい時代の黎明に希望を寄せた名前として「しののめ」から東雲町と名付けた。(姫路の町名より抜粋)
東雲は字の通り東の空が明るくなるころ、明け方という意味です。古の住居には明り取りのために粗い網目の部分がありました。それを「篠の目」といい、そこから転じて東雲になったのではないかと言われています。 |
まとめ
こ~んなに難読な地名があるなんて本当にすごい! 芳賀先生の豆知識もとても勉強になりました! 呼び方もさることながら、その由来にも歴史がありますね~! 市内をお出掛けされるときは、地名も是非チェックしてみてくださいね! お子さんにも是非教えてあげましょう!